10回目の治療日


今日は3ヶ月に1度の治療日でした。私には生れつき顔に、
単純性毛細血管腫という、赤ワイン色した割と大きな痣があります。
普段は手間暇を惜しまず、毎朝専用の特殊メイクで隠しているし、
歳と共に腕があがったので、ほとんど気付かれる事はない。
ただその部分を塗りつくすために精魂使い果たすので、
他の部分を化粧する余裕があまりなかったりします。

今日もいつも通り、控室で麻酔をする間、幼い子供の、
照射室で痛い痛いと泣きわめいている声が聞こえて来た。
身体(細胞)が成長しきっていない彼らは、比較的消え易い。
この一時の肉体的な痛みさえ乗り越えれば、彼らはきっと
その後の人生、その分だけの苦悩を少なく過ごすだろう。
その長い年月、感じ受ける物事の多くの違いを勝手に想像しては、
毎回、複雑な気持ちで胸がいっぱいになる。

一番辛かったのは物心ついた小学生の頃。そして多感な青春時代。
学校の先生も親も、化粧していいんだよと言ってくれたが、
意地っぱりな私は平気な振りをして、一切化粧をしていなかった。
人一倍、人の視線には敏感で、街で学校で見られる度に
胸が圧迫されるような感覚があっても、気にしていないふりをした。
当時は今程医療は発達しておらず、田舎だった事もあってか、
大学病院なんかに行っても切開手術しか方法はないと言われていた。

大人になり化粧をする様になってからは、恋人が出来そうになると、
この事をいつ打ち明けるか、またどう打ち明けるかでいつも悩んだ。
付き合う前に必ず、勇気を出してアルバムを見せるが、
その後どれだけ一緒に居ても化粧が落とせない。
今まで付き合った人で全くの素顔を見せられたのは一人しかいない。
その人は痣がなかったら好きにならなかったかもしれない、
アメリカへ行って最先端の技術で治そうと言ってくれたからだ。
相手が悪い訳ではなく、私の中の心の壁で、自身が乗り越えられないだけ。
些細な事で勇気がくじける。顔ってそんなに大事なのか、改めて鏡を覗く。

生まれもった不条理を理解しているし、ハンディのある方々の気持ちも
少しは感じとる事ができるのではないかと思う。綺麗事は嫌いだ、だから
一方でこればっかりは、その気持ちは毎日そのハンディに対峙する立場の
当事者でない限り、実の親ですら解りきるのは無理な話だと言う事も、
身を以て解っているつもりです。もちろん、自分の体感し得た範囲内で。

生まれてからずっと付き合って来た、私の顔にある赤いもの。
知らなかった方々には、びっくりさせてしまって申し訳ありません。
10回目の治療を終え、以前と比べれば痣の大きさも濃度も
半分程になりつつある中、この気持ちを残しておこうと思ったのです。
どんなにこれさえ無ければと思い、様々な折りに触れては泣いたか、
数々のエピソードを書き始めたらきっと、読み疲れてしまう程にある。
辛かった瞬間やショックを受けた時などは脳裏に鮮明に焼き付いている。
人格形成には善くも悪くも大きな影響を与えられてきたと思います。
そういう面ではある意味、感謝もしています。

いつか、これが消えたとしても。

2008,04,12


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